近畿大学附属高等学校 男子部・女子部の歴史
高校入試関連情報誌では「共学」「男女共学」で登録されたもの、入学すると、入学式・体育祭(男子部の運動会=大阪市長居陸上競技場、女子部の運動会=女子校舎内中庭)・文化祭(男子部=大阪厚生年金会館大ホール(現オリックス劇場)、女子部=女子校舎内)・修学旅行・卒業式などの学校行事などの学園生活も全て男女別で行われ、 食堂ありで昼休みの食堂での給食は男子部のみ(女子部の昼休みは教室で持参のお弁当)で、一部の部活や高校野球での応援席以外は男子部・女子部の交流も一切なかった大阪府東大阪市に本校を置く私立高校・近畿大学附属高等学校。昭和14年、男子校として開校し、その24年後の昭和38年、男子校舎から約1キロ離れた場所に女子校舎を設立され、1つの高校で男子校・女子校の2校が存在し、 校舎が男女別といったユニークな時代は平成2年まで、27年も続きました。その男子校・女子校時代を振り返ってみましょう。
↑日本工業学校〜大阪理工科大学附属高等学校の当時の制服
金ボタン5個仕様の黒の詰襟学生服(標準学生服)
男子校時代1(日本工業学校〜大阪理工科大学附属高校時代)
(昭和14年4月1日〜38年3月31日)
昭和14年4月 | 日本工業学校設立(東大阪市小若江)、男子校として。 |
昭和21年4月 | 中等学校令が改され、5年制工業学校となる。 |
昭和23年4月 | 学制改革に伴い、大阪理工科大学附属高等学校と校名を変更。 普通科・電気科・建築科・機械科を設置 |
↑近畿大学附属高等学校の当時の制服、海軍服
男子校時代2(現在の校名になってから)
(昭和24年4月1日〜38年3月31日)
昭和24年4月 | 現在の校名(近畿大学附属高等学校)に変更。 男子部校章制定 ![]() 商業科設置。 制服が標準学生服から黒のホック留め蛇腹の詰襟(海軍服)に改定 |
昭和26年2月 | 学校法人が近畿大学に属される。 |
昭和26年3月 | 建築科廃止。 |
昭和32年12月 | 通信制課程を併設。 |
昭和34年10月 | 本館建築完成。 |
昭和37年3月 | 大学創立30周年記念第1期校舎改築工事完成。 |
昭和38年3月 | 大学創立30周年記念第2期校舎改築工事完成。 |
↑女子部設立当時の近畿大学附属高等学校の制服、上=男子部(黒のホック留め蛇腹詰襟(海軍服))、下=女子部(紺のスーツ)
初めての女子生徒入学を迎えるが、男子校を継続し、別の場所に女子校舎を設立して男女併学制へ
高校入試情報誌では「男女共学」「共学校」で記載されても、男子部・女子部とのお互いの交流は一切なし
↑近畿大学附属高等学校昭和38年度入学式
創立から25年目で初の女子生徒が入学されますが、男子校継続の形で附属小学校・中学校と同じ敷地内に女子部を設置されることになります。
↑近畿大学附属高等学校昭和40年度入学式
高校入試情報誌では「男女共学」「共学校」で記載されても、校舎は男女別に分断されていたため、入学式をはじめ、全ての学校行事も男女別で行われておりました。
↑近畿大学附属高等学校女子校舎の看板
男子校・女子校時代
(男子部:昭和38年4月1日〜平成2年3月31日)
(女子部:昭和38年4月1日〜平成4年2月)
昭和38年4月 | 普通科に女子部設立 創立から24年、これまで男子校だった近畿大学附属高校に初の女子生徒の入学を迎えるが、男子校を継続し、男子校舎から1キロほと離れた場所(附属中学校と小学校内)に女子校舎を建設し、1校で男子校・女子校の2校が存在される男女別学(併学)制へ。 近畿大学附属高等学校男子部(普通科・機械科・電気科・商業科)並びに同女子部(普通科)が正式に発足 女子部校章 ![]() と女子部制服(紺のシングルのスーツに丸襟の白いブラウス)制定 ※近畿大学附属高等学校女子部設立までの経過 昭和14年に開校した近畿大学附属高等学校は元々男子校としてスタートし、その8年後の昭和22年に新制中学校を東大阪市中小阪(小学校内)に設置。その2年後の昭和24年に男女共学として近畿大学附属小学校並びに同中学校(中学校開校当時の制服:男子=紺のホック留め詰襟、女子=セーラー服)に校名を改称。同中学校で昭和32年〜34年度は募集停止していたが、昭和35年度から募集再開。中学校再開1期生の女子生徒の中学校卒業というときに同高校は男子校であり、高校に上がれない訳で、高校でも女子生徒の受け入れを目的に普通科のみの女子部を中学校・小学校と同じ敷地内に設置されることになった。 |
昭和39年3月 | 大学創立30周年記念第3期校舎改築工事完成。 |
昭和41年3月 | LL教室・VTR設置、並びに南運動場整備工事完成 |
昭和42年3月 | 春のセンバツ高校野球初出場。 |
昭和44年11月 | 創立30周年記念式典開催。 |
昭和46年3月 | 春のセンバツ高校野球に出場、初勝利を収める。 |
昭和46年4月 | 大学創立40周年記念第1期校舎改築工事完成。 |
昭和46年7月 | 創立30周年記念武道館新築工事完成。 |
昭和50年3月 | 春のセンバツ高校野球に出場、初戦敗退。 |
↑1980年代当時の近畿大学附属高等学校の制服
上=男子部(黒のホック留め蛇腹詰襟(海軍服、左右に刺繍の襟章)、下=女子部(胸に「K.G.H.」の刺繍がついた紺のダブルのスーツと薄青のブラウスにえんじ色のネクタイ)
校舎が男女別に分かれた頃の近畿大学附属高校にも学食(食堂)も設置していますが、食堂を設置しているのは男子校舎のみ。
もちろん、昼食方法も男女別で異なっており、お昼休みになると、男子部の生徒たちの大半は食堂で給食(うどん、カレー、丼など)を食べ、女子部の生徒たちは教室で持参の弁当や購買部で販売中のパンを食べます。
当然、女子部の生徒たちの昼休み中も校外外出も禁止されており、女子部の生徒たちも男子校舎内の食堂へ行って男子部・女子部一緒に給食を食べたりすることは一切ありません。
したがって、校舎が男女別に分かれた頃の近畿大学附属高校の昼休みの食堂での給食、基本的に男だらけです。(^_^)
昭和50年(?)4月 | 男子部制服の襟章が刺繍に変更(左右共) 女子部制服改定(紺のダブルのスーツ(右胸に「K.G.H.」の刺繍)、薄青のブラウスにえんじいろのネクタイ) |
昭和51年4月 | 定時制課程の生徒募集停止。 |
昭和52年4月 | 男子部機械科・電気科・商業科の生徒募集停止。 |
昭和53年4月 | 男子部に理数科設置。 |
昭和59年4月 | 男子部機械科・電気科・商業科を廃止。 |
昭和62年4月 | 男子部普通科に国際コース・情報処理コースを設置。 定時制課程(夜間)普通科・機械科・電気科・商業科および通信制課程普通科を廃止。 夏の高校野球、地方大会決勝戦で敗れ、あと一歩のところで全国大会初出場を逃す。 |
昭和63年3月 | 春のセンバツ高校野球に出場 夏の高校野球に初出場、初戦敗退。 |
平成元年3月 | 男子部新校舎完成。 春のセンバツ高校野球に出場、初戦初の引き分け。 |
平成元年4月 | 男子部全生徒新校舎に移転 |
平成元年9月 | 創立50周年記念式典開催。 |
平成2年3月 | 春のセンバツ高校野球に出場、全国制覇達成。 |
平成2年4月 | 男子部新校舎で新入生から男女共学実施(女子部の生徒募集停止) 男女共学実施時の校章は男子部校章を後継して使用 ![]() 創立以来、51年続いた男子校時代に幕。女子部設立から27年続いた男女別学(併学)時代に幕。 |
平成4年2月 | 女子部で最後の卒業式を行い、29年の幕を閉じた。 |
平成5年4月 | 制服改定(男女ともブレザーに)と同時に校章デザイン(幼稚園〜大学、地方系属校でも同じデザインに)も改定。 創立以来長らく続いた校章 ![]() も見納め。 |
平成7年3月 | 旧制服姿で最後の卒業式挙行。創立以来、56年続いたホック留め黒の詰襟学生服(海軍服)と女子部設立から32年続いた紺のスーツ(水色のカッターとえんじ色のネクタイ)姿も見納め。 |
↑1988年〜1990年の春の選抜高校野球出場当時の近畿大学附属高校の男女各制服
男子部=黒のホック留め蛇腹詰襟(海軍服)、女子部=紺のダブルのスーツと薄青のブラウスにえんじ色のネクタイ
全国各地の男女別学の高校の中で最多の6回も春の選抜高校野球に出場した近畿大学附属高校(近大付)の応援席にもいろいろな思い出があります。春の選抜高校野球に出場した1967年、1971年、1975年、1988〜1990年当時の近大付の校舎所在地・校章デザインも男女別に分かれており、
すべての学園生活も男子ばかり女子ばかり(昼休みは男子部=食堂で給食、女子部=教室で持参の弁当または購買部のパン類)で近高(男子部)・近女(女子部)の交流は一切行っておりませんが、甲子園での高校野球の応援席のみ男子部・女子部一緒で行っております。
校舎が男女別時代当時の近大付の全校生徒数も男子部・女子部合わせて約4080人(うち3700人が男子部、残り380人が女子部)のマンモス校で応援席も大応援団になっております。
甲子園で行われる春の選抜高校野球で近大付戦を迎え、黒のホック留め蛇腹詰襟(海軍服)姿の男子部の生徒たち(応援団、吹奏楽部)に加え、
紺のダブルのスーツと薄青のブラウスにえんじ色のネクタイ姿の女子部の生徒たち(バトン部、吹奏楽部)も一緒に甲子園まで駆け付けに来ます。
試合が始まる前、応援席となっているアルプス席に制服姿の生徒たちが次々と入り、海軍服姿の男子部の生徒たちは向こう側に座り、
スーツ姿の女子部の生徒たちは反対側にそれぞれ座り、男子部・女子部共に並んで座っていきます。近大付の応援席も校舎も男女別に1キロほど離れていると同様、
座席も大半が男子部、残り半分が女子部にそれぞれ分かれており、男子部・女子部の座席間に境界線を作り、30センチほどの隙間を開けます。
応援席に座っていく最中、海軍服姿の男子部の生徒たちは何度も詰めるように教師が注意しても、スーツ姿の女子部の生徒たちは詰めません。
混んできた男子部側が、詰めようとすると露骨に嫌な顔をされました。
試合が始まると同時に男子部・女子部各吹奏楽部の合同演奏も始り、男子部応援団と女子部バトン部のパフォーマンスも始り、
制帽(男子部=学帽、女子部=ベレー帽)と赤いメガホンを身につけて応援に駆け付けに来た海軍服姿の男子部の生徒たちが「かっ飛ばせー!○○!」と声を合せながら声援を送りますが、1989年〜1990年大会では女子部の生徒たちも赤いメガホンを身に付けており、「かっ飛ばせー!○○!」も男子部・女子部の混声となります。試合が進むごとに応援に駆けつけた海軍服姿の男子部の生徒たちが「校歌」「応援歌」「附属節」「翠巒節」を大声で歌いだすときもあります。また、校舎が男女別時代当時の近大付にも男子部限定の「応援歌」「附属節」「翠巒節」のほか、高校野球独自の応援歌も作られており、天理高校(奈良県)の応援歌「わっしょい」の派生となっている「わっしょいしょい」や元福岡ダイエーホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)の脇坂浩二選手の前奏として「近大附属コンバットマーチ」もありました。勝利をおさめると、海軍服姿の男子部とスーツ姿の女子部の各生徒たちが合同で「校歌(大学の学園歌)」を大合唱し、次の試合に臨みます。校舎が男女別に分かれた当時の近大付の応援席で、「かっ飛ばせー!○○!」の掛け声と「校歌」「応援歌」「附属節」「翠巒節」は男子部のみの男声、勝利した時の「校歌(大学の学園歌)」は男子部・女子部の混声でした。
また、制帽の着用が自由化された1989年〜1990年では男子部・女子部とも白いチューリップ帽を身につけて応援に駆けつけます。
ちなみに、校舎が男女別に1キロほど分かれており、応援に駆けつけた海軍服姿の男子部の生徒たちのほとんどがスーツ姿の女子部の生徒たちに会えたのは一度きりだったことも…。
一部は、近畿大学附属高等学校ホームページの沿革コーナー調べ。
↑1990年度から男女共学になった近畿大学附属高校の男女各制服
↑1990年4月、男子部新校舎で正式に男女共学になっても制服は男子校・女子校時代から引き継がれた(1992年度入学生まで)。
春の選抜高校野球で優勝を飾ったあと、男子新校舎で男女共学実施。これまで男女別に行われてきた入学式などの学校行事も男女一緒になります。
そしてこれまで、男子部限定だった昼休みの食堂での給食、大勢いる黒のホック留め蛇腹詰襟(海軍服)姿の男子生徒に加え、紺のダブルのスーツ姿の女子生徒も食堂に入って給食もしくは持参の弁当を食べることも解禁されました。
↑近畿大学附属高等学校校歌
男子部・女子部共通。男女別校舎時代当時の近畿大学附属高等学校校歌、男子部・女子部共通であっても、男子部・女子部一緒に歌うことは一切ありません。
1990年度入学生からの男女共学移行後も継承中
↑昭和32年当時の近畿大学の附属校の様子を映し出しており、附属幼稚園・小学校・中学校は大学と同様、男女共学(男子が最も多く、女子は最も少ない)ですが、高校のみ男子校でした。
近畿大学附属高等学校男子部 概要
正式校名 | 近畿大学附属高等学校男子校舎 |
所在地 | 大阪府東大阪市小若江(近畿大学内、1988年度まで) 大阪府東大阪市若江西新町(1989年度) |
最寄りの下車 | 近鉄大阪線長瀬駅下車〜大学道りを徒歩(1988年度まで) 近鉄奈良線八戸ノ里駅下車(1989年度) |
創立年 | 1939年 |
閉校年 | 1990年3月31日 |
区分 | 男子校、男女別学 |
校訓 | 人に愛され、信頼され、尊敬される人になれ |
設置学科 | 普通科 理数科(1978年度設置) 国際科(1987年度設置) 以前には工業科・商業科も設置 |
全校生徒数(1989年度当時) | 3705人 |
クラス数 | 1学年20クラス |
校歌 | 近畿大学校歌 このほか、応援歌・附属節・翠巒節も制定 |
校章 | 大学の学園章(梅の花)に「高」 |
制服 | 冬服:黒詰襟(蛇腹、ホック留め)、黒ズボン 夏服:白カッターシャツ、グレーのズボン |
制帽 | 黒学生帽 希望者のみ |
昼食方法 | 食堂あり |
高校野球全国大会出場回数 | 春6回、夏1回 |
近畿大学附属高等学校女子部 概要
正式校名 | 近畿大学附属高等学校女子校舎 |
所在地 | 大阪府東大阪市中小阪(附属小学校・中学校と併設、現・万代百貨店中小阪店) |
最寄りの下車 | 近鉄奈良線八戸ノ里駅下車 |
創立年 | 1963年 |
閉校年 | 1992年3月31日 |
区分 | 女子校、男女別学 |
校訓 | 人に愛され、信頼され、尊敬される人になれ |
設置学科 | 普通科 |
全校生徒数(1989年度当時) | 368人 |
クラス数 | 1学年6クラス |
校歌 | 近畿大学校歌 |
校章 | 大学の学園章(梅の花)に縦書きで「女高」 |
制服 | 冬服:紺ダブルのスーツ、薄青のブラウスにえんじ色のネクタイ、紺スカート 夏服:白ブラウス、紺スカート 合服あり |
制帽 | 冬:エンジ色のベレー帽 夏:白ベレー帽 希望者のみ |
昼食方法 | 教室で持参のお弁当のみ |
高校野球全国大会出場回数 | 春6回、夏1回 |
↑近畿大学附属高等学校男子部入試の様子。約1000人の金ボタン5個黒詰襟学生服(標準型学生服)姿の男子中学生たちが入試に挑み、合格を果たすと共に金ボタン5個黒詰襟学生服姿からホック留め黒詰襟学生服(海軍服)姿に変えて、近高生の仲間入りを果たし、3年間に渡る男子校生活が始まります。上から1983年度、1984年度、1985年度。
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