近畿大学附属高等学校 春のセンバツ高校野球での結果
校舎が男女別に分かれていた頃の近畿大学附属高校でも部活も盛んです。男子部・女子部合同の部活(吹奏楽部(新校舎移転後から男子部・女子部合同)、水泳部、スキー部など)もあり、女子部の水泳部員は放課後になるとプールを設置していない女子校舎から1キロ離れた男子校舎内のプールへ行って男子部と一緒に部活に励みます。 また、男子部・女子部ともにインターハイなどで好成績を作り、数多くのスポーツ選手たちを輩出してきました。特に一番輝かしいのが、春の選抜高校野球出場です。その展望を辿っていきましょう。
近畿大学附属高校(以下近大付)が春のセンバツ高校野球に初出場されたのが、昭和42年の第39回大会。学園創立(男子部設立)から28年、女子部設立から4年後のことだった。男子校・女子校時代の近大付は6回、春のセンバツ高校野球に出場した。近大付が春のセンバツ高校野球で初勝利したのが、昭和46年の第43回大会。平成2年の第62回大会で全国制覇を果たし、男子部新校舎で男女共学に移行されたあと、近大付は春のセンバツ高校野球に出場していない(平成15年の第75回大会に出場)。男子校・女子校時代の近大付の対戦成績は10勝5敗1引き分け。とくに、昭和63年と平成元年は思い出になっています。 また、男子校・女子校時代の近大付も夏の全国大会に1回(昭和63年の第70回大会)出場している(男女共学移行後の平成4年の第74回大会、制服改定後の平成5年の第75回大会、平成20年の第90回大会にも出場)。とくに、昭和62年の第69回大会の地方大会で、決勝戦でPL学園に敗れ、涙をのまれたのも思い出になっています。また、近大付が夏の高校野球に初出場されるまで、6回もかかりました。
男子校・女子校時代当時の近大付
春のセンバツ高校野球での試合結果
出場回数 | 年 大会回数 男子部設立からの年数 女子部設立からの年数 |
試合結果と対戦相手 |
1 | 昭和42年 (1967年) 第39回 28年 4年 |
2回戦:5−1●甲府商(山梨県) |
2 | 昭和46年 (1971年) 第43回 32年 8年 |
1回戦:7−2○三重(三重県) 2回戦:5−1○芦別工(北海道) 3回戦:1−0●坂出商(香川県) |
3 | 昭和50年 (1975年) 第47回 36年 12年 |
1回戦:7−4●仙台育英(宮城県) |
4 | 昭和63年 (1988年) 第60回 49年 25年 |
2回戦:8−0○明野(三重県) 3回戦:9−3●宇和島東(愛媛県) |
5 | 平成元年 (1989年) 第61回 50年 26年 |
1回戦:10−10△宇都宮工(栃木県) 1回戦再試合:7−3○宇都宮工(栃木県) 2回戦:2−1○松江東(島根県) 準々決勝:3−2●東邦(愛知県) |
6 | 平成2年 (1990年) 第62回 51年 27年 |
11−1○駒大岩見沢(北海道) 1−0○東北(宮城県) 準々決勝:9−2○金沢(石川県) 準決勝:5−4○東海大甲府(山梨県) 決勝:5−2○新田(愛媛県) |
男子校・女子校時代当時の近大付
夏の高校野球での試合結果
全国大会 出場回数 |
年 大会回数 男子部設立からの年数 女子部設立からの年数 |
全国大会での試合結果と対戦相手 |
0 | 昭和53年 (1978年) 第69回 39年 15年 |
地方大会決勝:9−3●PL学園 |
0 | 昭和55年 (1980年) 第69回 41年 17年 |
地方大会決勝:5−2●北陽 |
0 | 昭和56年 (1981年) 第69回 42年 18年 |
地方大会決勝:2−0●北陽 |
0 | 昭和57年 (1982年) 第69回 43年 19年 |
地方大会決勝:9−1●春日丘 |
0 | 昭和62年 (1987年) 第69回 48年 24年 |
地方大会決勝:1−0●PL学園 |
1 | 昭和63年 (1988年) 第70回 49年 25年 |
地方大会決勝:2−0○桜宮 2−1●宇都宮学園(栃木県) |
MLBで活躍した近畿大学附属高等学校男子校舎野球部出身の選手リスト
1946年度(野球部創部)〜1989年度野球部入部生
黄色枠=甲子園出場経験
調べ
選手名 | 所属した当時の球団 | 高校野球出場経験もしくは野球部最終学年時 |
呉山義雄 | 阪急ブレーブス(現オリックス・バファローズ) | 1952年 |
西村繁一 | 阪神タイガース | 1957年 |
木村貴臣(重視) | 近鉄バファローズ (2004年、オリックス・ブルーウェーブと合併し、「オリックス・バファローズ」に) |
1964年 |
谷延夫 | 南海ホークス(現福岡ソフトバンクホークス) | 1968年 |
中司得三 | 読売ジャイアンツ(巨人) | 1971年春 |
木村考 | 日本ハムファイターズ(現北海道日本ハムファイターズ) | 1976年 |
木村悟 | 日本ハムファイターズ(現北海道日本ハムファイターズ) | 1978年 |
金田進 | 中日ドラゴンズ | 1978年 |
松嶋喜久 | 近鉄バファローズ (2004年、オリックス・ブルーウェーブと合併し、「オリックス・バファローズ」に) |
1978年 |
神田大輔 | 南海ホークス(現福岡ソフトバンクホークス) | 1978年 |
西村義人 | 南海ホークス(現福岡ソフトバンクホークス) | 1981年 |
西岡剛 | ヤクルトスワローズ(現東京ヤクルトスワローズ)→ オリックス・ブルーウェーブ(現オリックス・バファローズ) |
1982年 |
木下文信 | 近鉄バファローズ (2004年、オリックス・ブルーウェーブと合併し、「オリックス・バファローズ」に) |
1984年 |
脇坂浩二 | 福岡ダイエーホークス(現ソフトバンクホークス) | 1988年春夏、1989年春 |
犬伏稔昌 | 西武ライオンズ(現埼玉西武ライオンズ) | 1988年春夏、1989年春 |
林敬治 | 近鉄バファローズ (2004年、オリックス・ブルーウェーブと合併し、「オリックス・バファローズ」に) |
1989年春、1990年春 |
壁紙ダウンロードコーナー
男子校・女子校時代当時、近畿大学附属高等学校が
春のセンバツ高校野球出場したときの応援席イメージ
男子部応援団&女子部チアガール付き
男子校・女子校時代当時、近畿大学附属高等学校が
春のセンバツ高校野球出場したときの応援席イメージ(男子部のみ)
1988年出場時2回戦
壁紙ダウンロードコーナー(1600×1200ピクセル対応)
男子校・女子校時代当時、近畿大学附属高等学校が
春のセンバツ高校野球出場したときの応援席イメージ
男子校・女子校時代当時、近畿大学附属高等学校が
春のセンバツ高校野球出場したときの応援席イメージ(男子部のみ)
1988年出場時2回戦
男子校・女子校時代当時、近畿大学附属高等学校が
春のセンバツ高校野球出場したときの応援席イメージ・拡大版(男子部・女子部)
男子校・女子校時代当時、近畿大学附属高等学校が
春のセンバツ高校野球出場したときの応援席イメージ・拡大版(男子部)
男子校・女子校時代当時、近畿大学附属高等学校が
春のセンバツ高校野球出場したときの応援席イメージ・拡大版(女子部)
男子校・女子校時代当時、近畿大学附属高等学校が
夏の高校野球の地方大会に出場したときの応援席イメージ
男子部応援団&女子部チアガール
壁紙ダウンロードコーナー(1024×768ピクセル対応)
男子校・女子校時代当時、近畿大学附属高等学校が
春のセンバツ高校野球出場したときの応援席イメージ
男子校・女子校時代当時、近畿大学附属高等学校が
春のセンバツ高校野球出場したときの応援席イメージ(男子部のみ)
1988年出場時2回戦
男子校・女子校時代当時、近畿大学附属高等学校が
春のセンバツ高校野球出場したときの応援席イメージ・拡大版(男子部・女子部)
男子校・女子校時代当時、近畿大学附属高等学校が
春のセンバツ高校野球出場したときの応援席イメージ・拡大版(男子部)
男子校・女子校時代当時、近畿大学附属高等学校が
春のセンバツ高校野球出場したときの応援席イメージ・拡大版(女子部)
男子校・女子校時代当時、近畿大学附属高等学校が
春のセンバツ高校野球出場されるときの野球部壮行式イメージ
男子部在校生で応援歌大合唱
男子校・女子校時代当時、近畿大学附属高等学校が
春のセンバツ高校野球出場されるときの野球部壮行式イメージ
男子部在校生で翠巒節大合唱
男子校・女子校時代当時、近畿大学附属高等学校が
春のセンバツ高校野球出場されるときの応援練習
壁紙ダウンロードコーナー(16:9インチモニタ対応)
1975年以来13年ぶり4度目の春の選抜高校野球出場決定
近畿大学附属高等学校男子部(近高)・女子部(近女)全校生徒大集合
1975年以来13年ぶり4度目の春の選抜高校野球出場決定
近畿大学附属高等学校男子部(近高)・女子部(近女)全校生徒大集合 校歌大合唱
1975年以来13年ぶり4度目の春の選抜高校野球出場決定
近畿大学附属高等学校男子部(近高)・女子部(近女)全校生徒大集合 応援歌大合唱
1975年以来13年ぶり4度目の春の選抜高校野球出場決定
近畿大学附属高等学校男子部(近高)・女子部(近女)全校生徒大集合 翠巒節大合唱
男子校・女子校時代当時、近畿大学附属高等学校が
春のセンバツ高校野球出場したときの応援席イメージ
男子校・女子校時代当時、近畿大学附属高等学校が
春のセンバツ高校野球出場したときの応援席イメージ(男子部のみ)
男子校・女子校時代当時、近畿大学附属高等学校が
1988年春のセンバツ高校野球出場したときの応援席イメージ(アルプス席全体)
男子校・女子校時代当時、近畿大学附属高等学校が
1988年春のセンバツ高校野球出場したときの応援席イメージ(アルプス席全体)
応援に駆け付けた男子部(近高)・女子部(近女)各生徒たちが応援歌の大合唱
男子校・女子校時代当時、近畿大学附属高等学校が
1988年春のセンバツ高校野球出場したときの応援席イメージ(アルプス席全体)
応援に駆け付けた男子部(近高)・女子部(近女)各生徒たちが附属節の大合唱
男子校・女子校時代当時、近畿大学附属高等学校が
1988年春のセンバツ高校野球出場したときの応援席イメージ(アルプス席全体)
応援に駆け付けた男子部(近高)・女子部(近女)各生徒たちが翠巒節の大合唱
男子校・女子校時代当時、近畿大学附属高等学校が
1988年春のセンバツ高校野球出場したときの応援席イメージ(対宇和島東戦Ver.)
男子校・女子校時代当時、近畿大学附属高等学校が
春のセンバツ高校野球出場したときの応援席イメージ(アルプス席全体)
1988年出場時立体
男子校・女子校時代当時、近畿大学附属高等学校が
春のセンバツ高校野球出場したときの応援席イメージ(アルプス席全体)
1988年出場時立体(1975年出場時イメージ)
男子校・女子校時代当時、近畿大学附属高等学校が
春のセンバツ高校野球出場したときの応援席イメージ
1989年出場時 掛け声と高校野球での応援歌「わっしょいしょい」の大合唱の練習イメージ
男子校・女子校時代当時、近畿大学附属高等学校が
春のセンバツ高校野球出場したときの応援席イメージ完全版
1989年出場時 初戦スタンバイ
男子校・女子校時代当時、近畿大学附属高等学校が
春のセンバツ高校野球出場したときの応援席イメージ完全版
1989年出場時
応援に駆け付けた男子部(近高)・女子部(近女)各生徒たちが 「校歌」大合唱
男子校・女子校時代当時、近畿大学附属高等学校が
春のセンバツ高校野球出場したときの応援席イメージ完全版
1989年出場時
応援に駆け付けた男子部(近高)の生徒たちが赤いメガホンを使って掛け声
男子校・女子校時代当時、近畿大学附属高等学校が
春のセンバツ高校野球出場したときの応援席イメージ
1990年出場時練習風景
男子校・女子校時代当時、近畿大学附属高等学校が
春のセンバツ高校野球出場したときの応援席イメージ
1990年出場時練習風景
「翠嵐節」斉唱
男子校・女子校時代当時、近畿大学附属高等学校が
春のセンバツ高校野球出場したときの応援席イメージ完全版
1990年出場時
男子校・女子校時代当時、近畿大学附属高等学校が
春のセンバツ高校野球出場したときの応援席イメージ完全版
1990年出場時 対駒大岩見沢戦
男子校・女子校時代当時、近畿大学附属高等学校が
春のセンバツ高校野球出場したときの応援席イメージ完全版
1990年出場時
応援に駆け付けた男子部(近高)・女子部(近女)の生徒たちが「校歌」大合唱
男子校・女子校時代当時、近畿大学附属高等学校が
春のセンバツ高校野球出場したときの応援席イメージ
1975年出場時
男子部(近高)・女子部(近女)各制帽を被って応援に駆けつけ
男子旧校舎屋上で練習する男子部(近高)応援団と女子部(近女)バトン部
甲子園玄関前の近畿大学附属高等学校男子部(近高)・女子部(近女)の生徒たち
<男子校時代当時の近畿大学附属高校が春のセンバツ高校野球に出場されたときの応援席アラカルト 海軍服姿の男子校舎(男子部、近高)の生徒たちに加え、スーツ姿の女子校舎(女子部、近女)の生徒たちも一緒に友情応援>
思えば昭和63年、当時、校舎が男女別に分かれていた近畿大学附属高校(近大付)が春のセンバツ高校野球に出場されたのを覚えています(平成2年まで)。この頃、男女の校舎も1キロ離れており、学園生活もすべて男子(女子)ばかりで男子部・女子部の交流もなく、一般の応援席は男子部のみかなと思ったら、女子部の生徒も応援に駆けつけていました。
もちろん、応援席の配置も男女別(大半が男子部、残りの大半が女子部)に分かれておりました。ある女子部の卒業生からの書き込みによりますと、希望者のみでした(男子部も希望者のみ)。
希望者は現地集合・解散で、阪神電鉄発行の切符と入場券は、制服(男子部=黒のホック留め詰襟学生服(海軍服)、女子部=紺のスーツと薄青のブラウスにえんじ色のネクタイ、バックの絵と男子部・女子部各制服のコーナー、上記壁紙を参照)を着て応援に駆けつけた生徒のみに配布され、男子校舎・女子校舎にも多数の貸し切りバスがチャーターされておりました。当所の全校生徒数も約4080人(男子部・女子部を合計して、うち9割が男子部)のマンモス校であり、一般の応援席も最大でした。
それから、女子部のチアガールは男子部の方から応援要請が女子部のバトン部にきて、練習は、男子旧校舎(現・大学の11号館)で男子部の応援団とともに行われました。
また、応援席がきっかけで、男子部の生徒が女子部の生徒と結婚したカップルも多数誕生し、この応援もTVドラマで使用されたこともあります(女子部第8期生さん情報ありがとうございました))。それから、男子校時代当時の近大付でも「応援歌」「附属節」「翠巒節」もありました(駅前で男子部の生徒に会ったとき、その生徒手帳に応援歌の楽譜も掲載されておりました)。
また、夏の高校野球大阪大会でも応援も行われ、大阪大会準優勝の昭和62年の第69回大会は男子部の応援団と女子部のチアガールも応援に駆け付けており、一般の応援席も最初は男子部限定でしたが、勝つにつれて女子部の生徒たちも友情応援に駆け付け、段々と増えてきております。
それから、その翌年の大阪大会優勝の昭和63年の第70回大会は決勝までずっと男子部限定で応援が行われました。
校舎が男女別に分かれた頃の近畿大学附属高校、男子部・女子部の交流は一部の部活と高校野球の応援のみでした。
↑1988年〜1990年の春の選抜高校野球出場当時の近畿大学附属高校の男子部・女子部各制服
男子部=黒のホック留め蛇腹詰襟学生服(海軍服)、女子部=紺のダブルのスーツと薄青のブラウスにえんじ色のネクタイ
全国各地の男女別学の高校の中で最多の6回も春の選抜高校野球に出場した近畿大学附属高校(近大付)の応援席にもいろいろな思い出があります。春の選抜高校野球に出場した1967年、1971年、1975年、1988〜1990年当時の近大付の校舎所在地・校章デザインも男女別に分かれており、 すべての学園生活も男子ばかり女子ばかり(昼休みは男子部=食堂で給食、女子部=教室で持参の弁当または購買部のパン類)で近高(男子部)・近女(女子部)の交流は一切行っておりませんが、甲子園での高校野球の応援席のみ男子部・女子部一緒で行っております。 校舎が男女別時代当時の近大付の全校生徒数も男子部・女子部合わせて約4080人(うち3700人が男子部、残り380人が女子部)のマンモス校で応援席も大応援団になっております。 甲子園で行われる春の選抜高校野球で近大付戦を迎え、黒のホック留め蛇腹詰襟(海軍服)姿の男子部の生徒たち(応援団、吹奏楽部)に加え、 紺のダブルのスーツと薄青のブラウスにえんじ色のネクタイ姿の女子部の生徒たち(バトン部、吹奏楽部)も一緒に甲子園まで駆け付けに来ます。 試合が始まる前、応援席となっているアルプス席に制服姿の生徒たちが次々と入り、海軍服姿の男子部の生徒たちは向こう側に座り、 スーツ姿の女子部の生徒たちは反対側にそれぞれ座り、男子部・女子部共に並んで座っていきます。近大付の応援席も校舎も男女別に1キロほど離れていると同様、 座席も大半が男子部、残り半分が女子部にそれぞれ分かれており、男子部・女子部の座席間に境界線を作り、30センチほどの隙間を開けます。 応援席に座っていく最中、海軍服姿の男子部の生徒たちは何度も詰めるように教師が注意しても、スーツ姿の女子部の生徒たちは詰めません。 混んできた男子部側が、詰めようとすると露骨に嫌な顔をされました。 試合が始まると同時に男子部・女子部各吹奏楽部の合同演奏も始り、男子部応援団と女子部バトン部のパフォーマンスも始り、 制帽(男子部=学帽、女子部=ベレー帽)と赤いメガホンを身につけて応援に駆け付けに来た海軍服姿の男子部の生徒たちが「かっ飛ばせー!○○!」と声を合せながら声援を送りますが、1989年〜1990年大会では女子部の生徒たちも赤いメガホンを身に付けており、「かっ飛ばせー!○○!」も男子部・女子部の混声となります。試合が進むごとに応援に駆けつけた海軍服姿の男子部の生徒たちが「校歌」「応援歌」「附属節」「翠巒節」を大声で歌いだすときもあります。また、校舎が男女別時代当時の近大付にも男子部限定の「応援歌」「附属節」「翠巒節」のほか、高校野球独自の応援歌も作られており、天理高校(奈良県)の応援歌「わっしょい」の派生となっている「わっしょいしょい」や元福岡ダイエーホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)の脇坂浩二選手の前奏として「近大附属コンバットマーチ」もあり、レパトリーは50もありました。勝利をおさめると、海軍服姿の男子部とスーツ姿の女子部の各生徒たちが合同で「校歌(大学の学園歌)」を大合唱し、次の試合に臨みます。校舎が男女別に分かれた当時の近大付の応援席で、「かっ飛ばせー!○○!」の掛け声と「校歌」「応援歌」「附属節」「翠巒節」は男子部のみの男声、勝利した時の「校歌(大学の学園歌)」は男子部・女子部の混声でした。 また、制帽の着用が自由化された1989年〜1990年では男子部・女子部とも白いチューリップ帽を身につけて応援に駆けつけます。 ちなみに、校舎が男女別に1キロほど分かれており、応援に駆けつけた海軍服姿の男子部の生徒たちのほとんどがスーツ姿の女子部の生徒たちに会えたのは一度きりだったことも…。
男子校(女子校)時代の近畿大学附属高校が春の選抜高校野球出場時の動画集
当時の選手たちの他、応援に駆けつけた海軍服姿の男子部とスーツ姿の女子部の各生徒たちも出てきます。
あの思い出をいつまでも…。
近畿大学附属高校(近大付) 野球部の歴史
男子校(女子校)時代当時の近畿大学附属高校の吹奏楽部定期演奏会の様子
この頃の吹奏楽部も男子部だけで行われました。その当時の模様の動画です。
1988年
13年ぶり春選抜高校野球出場そして夏の高校野球悲願の初出場へ
「河内の学習院」こと、近畿大学附属高校が13年ぶりの春の選抜高校野球出場そして夏の全国大会初出場へ。当時、校舎が男女別々だった近畿大学附属高等学校。近高(男子部)・近女(女子部)を合計して約4080人のマンモス校の大応援団で、応援席も黒のホック留め海軍型詰襟学生服姿の男子部全校生徒応援で行われておりました。勿論、交流のない紺のダブルのスーツと薄青のブラウスにエンジ色のネクタイ姿の女子部の生徒たちも希望者のみで一緒に応援に駆けつけております。掛け声で「かっ飛ばせー!○○!」も行われ、女子部の生徒たちもメガホンを身につけて、「かっ飛ばせー!○○!」の掛け声もしておりましたが、応援席は男子部の生徒たちが最も多かったため、女子部の女声が聞き取れず、男子部の男声になっておりました。応援に駆けつけた男子部・女子部各生徒たちにもカラーボードを配布し、応援の最中にカラーボードを使ったウェーブも行われました。応援に駆けつけたチアガール(女子部バトン部員)にインタビューで男女別学での学園生活についてを語ってくれます。それから、試合前の学校紹介VTRも男子部限定で行われておりました。応援に駆けつけた男子部・女子部各生徒たちにもカラーボードを配布し、その裏表紙には男子部女子部共通の校歌や男子部限定の応援歌・附属節・翠嵐節の歌詞も掲載されており、黒のホック留め海軍型詰襟学生服姿の男子部の生徒たちが「応援歌」「附属節」「翠嵐節」を歌いだす中、紺のダブルのスーツと薄青のブラウスにエンジ色のネクタイ姿女子部の生徒たちも一緒に口弾みながら初めて聞く「応援歌」「附属節」「翠嵐節」を歌い出します。すなわち、「応援歌」「附属節」「翠嵐節」の歌声は男声です。それから、夏の高校野球大阪大会でも優勝を果たし、悲願の初出場も果たしております。
(初戦の試合当時に公共放送で放送された学校紹介VTRより)
ナレーター:近畿大学附属高校の生徒数は3700人あまり。大阪では有数な規模です。東大阪市にある近畿大学のキャンパスの一角にあり…
トリビア:この全校生徒数は近高(男子部)のみで、登校風景は近鉄長瀬駅から降りて高校の校舎へ向かって歩いていく黒のホック留め海軍型詰襟学生服姿の男子部の生徒たちで、映し出された校舎も近畿大学のキャンパス内にあった男子部校舎でした。
(対明野戦の試合当時に民放で放送された選抜高校野球ハイライトより)
レポーター:ここは「男女共学」ということなんですが、普段は「男女別校舎」なんです…。
トリビア:この頃の近畿大学附属高校の校舎も男子部(近畿大学のキャンパス内、長瀬駅下車)と女子部(附属中学校・小学校と併設、八戸ノ里駅下車)に分断され、1キロほど離れており、黒の海軍服姿の男子部の生徒たちのほとんどが紺のスーツ姿の女子部の生徒たちに会えるのは春の選抜高校野球出場時だけです。また、この頃の近畿大学附属高校にも食堂も設置しておりましたが、食堂を設置しているのは男子部校舎だけで、昼休みの食堂での給食も黒の海軍服姿の男子部限定でした。
(対宇和島東戦の試合当時に公共放送で放送された選抜高校野球中継より)
実況者:…3800人ほどいます。男子クラスと女子クラスがあります。そして理数科…
レポーター:新入生を除いて2800人の生徒がいるんだそうですが、そのうち女子はわずか300人なんですね。その男女共学とはいいますけど校舎は別々なんだぞうで500mほど離れているんですね。それまでも普段もお互いに行き来もないということなんですが、今日の応援も女子生徒はアルプスの内野寄いで一眼になって応援しております。
トリビア:新入生を除いた全校生徒数は男子部・女子部を合計したもので、新入生は男子部が約1200人、女子部が約120人となっております。それから、男子部・女子部の距離で正しくは1キロほどです。
1989年
2年連続出場
黒の海軍服姿の近高(男子部)の生徒たちに加え、交流のない紺のスーツ姿の近女(女子部)の生徒たちも応援に駆けつけております。これまでは男子部全生徒全員応援で行われてきておりましたが、人数に制限され、希望者だけでの応援になります。応援に駆けつけに来てくれた男子部の生徒たちに加え、女子部の生徒たちも白いチューリップ帽と赤いメガホンも身につけておりますが、メガホンを使っての掛け声「かっ飛ばせー!○○!」は男子部だけ(つまり男声)で行っております。また、試合の最中にも男子部・女子部合同の吹奏楽部による「校歌」(男子部・女子部共通)、「応援歌」、「附属節」、「翠巒節」(以上男子部限定。「応援歌」の歌詞に「備え鍛えし健男児」、「附属節」の歌詞に「紅頭可憐な美少年」という文句が入っております)の演奏も行い、応援に駆け付けた大勢いる黒の海軍服姿の男子部の生徒たちが「応援歌」、「附属節」、「翠嵐節」を歌いだし、微妙に少ない紺のスーツ姿の女子部の生徒たちも口弾みながら「応援歌」、「附属節」、「翠嵐節」を歌いだします。また、「校歌」のみ男子部・女子部共通であり、男子部・女子部一緒の混声で歌いだしますが、男子部の生徒たちが多く占めており、男子声になる(女子声が聞き取れにくい)こともあります。それから、雨天による史上初の引き分け試合で勝利しております。また、この年から男子部は新校舎へ移転されます。それから、夏の大会の大阪大会でも3年連続で決勝戦へたどり着いておりますが、上宮高校に敗れてしまい、2年連続出場を逃しております。試合前の学校紹介VTRも引き続き、男子部限定で行われておりました。
(初戦の試合当時に公共放送で放送された学校紹介VTRより)
ナレーター:近畿大学附属高校は生徒数4079人のマンモス校…
トリビア:この全校生徒数は近高(男子部)に加え、当時の校舎が1キロも離れており、交流も一切なかった近女(女子部)の全校生徒数を合計したものです。1988年に続き、映し出された登校中の生徒たちも黒のホック留め海軍型詰襟学生服姿の男子部で、校舎も近畿大学のキャンパス内にあった男子部旧校舎でした。
(対宇都宮工業戦の試合当時に公共放送で放送された選抜高校野球中継より)
レポーター:この男子生徒がほとんどの学校ですので、黒い学生服…
近大附属高校はほとんどが男子生徒で、本来ならは黒い学生服でスタンドも真っ黒という感じになるはずなんですけれども…
…黒い学ランが並んでいます。
トリビア:全校生徒数4079人中約3700人が男子部の生徒で制服も黒い学生服(ホック留め蛇腹詰襟=海軍服)を採用されており、応援に駆け付けた制服姿の生徒たちのほとんどが黒の海軍服姿の男子部の生徒たちで埋め尽くされており、紺のスーツと薄青のブラウスにエンジ色のネクタイ姿の女子部の生徒たちも一番下の向こう側に座っております。
1990年
3年連続出場そして全国制覇達成
黒の海軍服姿の近高(男子部)の生徒たちに加え、交流のない紺のスーツ姿の近女(女子部)の生徒たちも応援に駆けつけております。男子部に加え、女子部の生徒たちも白いチューリップ帽と赤いメガホンも身につけており、「かっ飛ばせー!○○!」も男子部・女子部の混声になります。また、試合の最中にも男子部・女子部合同の吹奏楽部による「校歌」(男子部・女子部共通)、「応援歌」、「附属節」、「翠巒節」(以上男子部限定)の演奏も行い、応援に駆け付けた大勢いる黒の海軍服姿の男子部の生徒たちが「応援歌」、「附属節」、「翠嵐節」を歌いだし、微妙に少ない紺のスーツ姿の女子部の生徒たちも口弾みながら「応援歌」、「附属節」、「翠嵐節」を歌いだします。全国制覇達成も果たし、これと同時に、これまで校舎が男女別に分断していた近畿大学附属高校も正式に「男女共学」に生まれ変わり、これまで黒の海軍服姿の男子部の生徒たち限定だった昼休みの食堂での給食で、紺のスーツ姿の女子生徒たちも初めて食堂に入り、大半を占める黒の海軍服姿の男子生徒たちが給食を食べている様子を眺めながら、紺のスーツ姿の女子生徒たちも給食もしくは持参の弁当を食べることになります。ちなみに女子部は1992年3月挙行の卒業式を最後に設置から29年の幕を閉じます。
(対東北戦の試合当時に公共放送で放送された選抜高校野球中継より)
レポーター:「附属節」というこの近大附属に伝わっている音頭なんですね、歌詞に「近大附属の学生さんは紅顔可憐な美少年」という文句がありまして、もともとは男子校だったんでね…
トリビア:男子校時代の近畿大学附属高校は学校創立の1939年度から1989年度まで51年間続いてきており、1963年度から初の女子生徒が入学しても、男子校を継続する形として男子部校舎から1キロ離れた場所に女子部校舎を設置することになります。それから、女子部は1991年度まで続いておりました。
おまけ
近大付属オリジナル応援歌
男女共学の高校の応援席での掛け声はいつも男女混声ですが、1988年〜1990年の春の選抜高校野球に出場した時の近畿大学附属高等学校は男女別学で校舎も近高(男子部)・近女(女子部)と1キロほど離れており、学園生活面では男子部・女子部との交流も一切ありませんでした。全校生徒数約4000人中3700人が男子部の生徒であり、この頃の応援席の制服姿の生徒たちで黒の海軍服姿の男子部の生徒たちがほとんど埋め尽くされ、紺のスーツ姿の女子部の生徒たちも一番半分前に座っており、掛け声(かっ飛ばせー!○○!ファイト×2近大!)も男子部限定(男子声)で行ってきました。特に1989年で応援に駆けつけた制服姿の男子部・女子部の生徒たちも赤いメガホンを身につけておりましたが、メガホンを使っての掛け声(かっ飛ばせー!○○!ファイト×2近大!)は男子部限定(男子声)で行ってきました。また、優勝した1990年では男子部・女子部一緒(男女混声)で行ってきました。
↑校舎が男女別に1キロほど離れた頃に製作された近畿大学附属高等学校の校歌(大学の学園歌、男子部・女子部共通)、応援歌(男子部限定)、附属節(男子部限定)、翠巒節(男子部限定)を収録された非売品のEPレコード。ジャケットは青空をバックに高旗と当時の男子校舎の2種類。このEPレコードは近畿大学附属高等学校男子校舎の新入生に配布されたもので、男子部新入生はこれらの4曲を聞いて、歌う練習をしておりました。また、高校野球の全国大会で近畿大学附属高校が勝利を収めた時(1998年大会からは初戦の2回目のイニングに入る前にも)に流れる校歌の音源もこのEPレコードに収録されております。
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